2009年07月01日

国民経済計算

ケインズは分析を容易にするためにマクロ変数間のつながりを重視した。
国民所得は Y = C + I + G + (EX − IM)という国民所得恒等式によって表される。
上式は左から順に、所得、消費、投資(在庫投資を含む)、政府支出、純輸出(輸出マイナス輸入)である。
所得面、生産面、分配面で見た国民所得は同一であるとする三面等価が成立する。
マクロ変数の中でも消費や投資については、消費関数、投資関数に関する諸議論がある。
IS-LMモデルから需要関数が導かれる。
労働市場分析から供給関数が導かれる。労働者錯誤モデル、不完全情報モデル、硬直賃金モデルなどのモデルがあり、ルーカスが唱えた不完全情報モデルに基づく供給関数はルーカス型供給関数といわれる。
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IS-LM分析を短期、総需要総供給(AD-AS)分析を長期と位置付ける場合が多い。この含意は、ケインズ経済観では需要面のショックが短期的に有効であるものの、供給面も考えた総需給分析では予測が付かないということである。

開放経済下の一般均衡分析は国際マクロ経済分析と呼ばれる。
マンデル・フレミングモデルと呼ばれる利子率が世界利子率に固定されているという単純な仮定をおいた小国開放経済下のIS-LM分析によって、簡単な政策分析ができる。IS-LM-BP分析と呼ばれる経常収支曲線を追加した分析のようにIS-LM分析は開放経済に様々な形で応用されている。
為替レート決定理論の中でもアセットアプローチは、ケインズ的分析である。

2009年06月13日

宇宙の終焉(うちゅうのしゅうえん)

宇宙の終焉(うちゅうのしゅうえん、Ultimate fate of the universe)とは、宇宙物理学における、宇宙の進化の最終段階についての議論である。さまざまな科学理論により、さまざまな終焉が描かれており、存続期間も有限、無限の両方が提示されている。

宇宙はビッグバンから始まったという仮説は、多くの科学者により合意を獲得している。宇宙の終焉は、宇宙の質量/エネルギー、宇宙の平均密度、宇宙の膨張率といった物理的性質に依存している。宇宙の終焉は、サイエンス・フィクションにおいても重要な課題である。

宗教においても、終末論が論じられている。

20世紀初めまで、宇宙に関する科学的描像の主流は「宇宙は永遠に変化をしないまま存在し続ける」というものであった。このような宇宙モデルは現在では定常宇宙論として知られている。しかし1920年代にハッブルが宇宙の膨張を発見したことで、宇宙の始まりと終わりが科学的研究の重要な対象となった。

宇宙の始まりはビッグバンと広く呼ばれている。宇宙の終焉に関する理論は大まかに三つのグループに分けられる。

終焉はない:

現在の観測結果にも拘らず、宇宙はかつて信じられていたように永遠のものである。
定常宇宙論
一時的事象として終焉を迎える:

ビッグバンの前にはビッグクランチがあった。宇宙は将来再びビッグクランチを迎え、続くビッグバンで再び膨張する。このような振動が永遠に続く。
振動宇宙論(Oscillatory universe)
永久的な事象として終焉を迎える:

宇宙自体に終焉はないが、宇宙内部の存在全てが一様な平衡状態に達する。
宇宙の熱的死
ビッグリップ(Big Rip)
宇宙の低温死 (Big Freeze / Big Chill / Cold Death)
ある時点で重力が宇宙膨張に打ち勝ち、宇宙は収縮に転じて一点に潰れる。
ビッグクランチ
現代の理論は全て、宇宙論的推測を行うための共通の背景を与えている一般相対性理論を受け入れなくてはならない。上記の理論のほとんどは一般相対論の方程式の解であり、宇宙の平均密度や宇宙定数の値といったパラメータのみが異なっている。

初めの二つのグループについてはここでは論じない。宇宙の終焉そのものを否定しているからである。これらの理論では、何らかの意味のある活動がこの宇宙で永遠に続き得るとされる。以下ではこれら以外の可能性について議論する。
テニス
セキュリティ
花火
仏教絵画
東北地方
壁画
日用品
セパタクロー
印刷
水球
アスペルガー症候群
学習塾
ベリーダンス
北陸地方
水彩画
恐竜
水墨画
両生類
ジオキャッシング
アニマルセラピー

2006年現在得られている様々な観測結果から、我々の宇宙は時空の曲率が 0 の「平坦な宇宙」であるとする見方が最も有力である。一般相対性理論によると、平坦な宇宙モデルは体積が無限大の開いた宇宙であり、永遠に膨張しながら存在し続ける宇宙である。[1]宇宙内部の環境は、我々が知っているような生命が存在できない状態にある時点で落ち着くと考えられる。このような宇宙で非常に長い時間スケールで起こると考えられる様々な事象については、1 E19 s 以上を参照のこと。

このような宇宙モデルの下で遠い将来に起こる現象を時系列順に正確に推定することは非常に難しいが、定性的にはおよそ以下のような現象が起こると考えられる。

2009年06月08日

分析心理学

分析心理学(ぶんせきしんりがく、独語:Analytische Psychologie,英語:Analytical Psychology)は、スイスの精神医学者・心理療法家であったカール・グスタフ・ユングが創始した深層心理学理論で、心理療法理論でもある。通称ユング心理学とも呼ばれる。

コンプレックス(感情複合)の現象を研究したユングは、言語連想実験等を通じて深層心理の解明を志向し、当時、精神分析を提唱していたウィーンのジークムント・フロイトから大きな影響を受けた。しかし、ユングは「リビドー」の概念を、従来よりはるかに幅の広い意味で定義し直してフロイトと訣別し、「集合的無意識」の存在を提唱し、元型の概念において、神話学、民俗学、文化人類学等の研究に通底する深層心理理論を構成した。
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初期のユングの研究のなかで、もっとも代表的で、深層心理学の研究者としてのユングを世に周知のものとしたのは、1904年に公刊された「連想実験」[1]に関する論文であった。

言語の連想により無意識の内容を意識化し、理解する試みはフロイトの自由連想にすでに見られるが、ユングは一連のごく簡単な単語を用意し、被験者に連想してもらい、あわせて応答にかかる時間を測定、さらに再び最初から最後までチェックして、平均的な応答と「特殊な応答」の違いを浮彫りにした。[2]ユングは後者の反応を無意識のコンプレックスと関連づけたが、「連想実験」は単語や時間の測定数値、再現性の有無という具体的なデータが提示され、かつ統計的な比較が成されており、客観的で科学的な価値を持っている。

コンプレックスの概念

応答の時間のずれが生じたり、スムーズな再生が見られない刺激語を詳細に調べて行くうちに、ユングは、刺激語が、被験者自身にとっても意識されていない、何かの感情的意味を持っていることを見出した。綿密な研究の後、ユングは、被験者の心には、意識されていない感情と観念の複合体が存在し、この複合体に抵触する刺激語が提示されたとき、応答の時間のずれが生じることを確認した。

ユングは、このような、無意識にある観念と感情の複合体を「コンプレックス(Complex)」と名づけた。分析心理学は、別名、コンプレックス心理学(独語:Komplexe Psychologie)とも呼ぶが、それは、コンプレックス概念が、ユングの分析心理学の基本となるからである。

2009年04月25日

ラムセス2世

ラムセス2世(ラムセス2せい、Ramesses II、ラムセス大王(ラムセスだいおう)、紀元前1314頃 - 紀元前1224年、または紀元前1302頃 - 紀元前1212年)は、古代エジプト第19王朝のファラオ(在位:紀元前1290 - 紀元前1224年、または紀元前1279 - 紀元前1212年)。

その治世において、エジプトはリビア・ヌビア・パレスチナに勢力を伸張し、繁栄した。

ラムセ2世、ラメセス2世とも表記される。ラムセスという名は、ラーによって生まれたという意味の「ラー・メス・シス」のギリシア語読みである。

年代には諸説あるが、24歳で即位し、66年間統治し、90歳で没したとされる。その間、第1王妃ネフェルタリのほか、何人もの王妃や側室との間に、賢者として名高いカエムワセト、後継者となるメルエンプタハをはじめ非常に多くの子(100人以上)をもうけたと伝えられる。もっとも、この大半は養子であり王の息子の称号を与えられただけだという説もある。しかし、非常に大柄であり専用の強弓は王その人以外誰も引くことができなかったと言われる優れた戦士であった王が多くの子を残さなかったとは考えにくく、やはり彼らは王の実子であると考える者もいる。即位名はウセルマアトラーである。

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治世の前半期はヒッタイトとパレスチナで勢力を争った。紀元前1286年、カデシュの戦いに自ら親征し、ヒッタイト王ムワタリと戦った。エジプトはカデシュの戦いでは偽情報に踊らされた結果有力な軍団を壊滅させられるなど苦戦しつつも、ラムセス2世の武勇によって勝利を収めたが、ヒッタイト勢力をパレスチナから駆逐するには到らなかった。両者ともに相手を退けるに到らず、長年戦争を続けたのち、ラムセス2世の第21年(紀元前1269年)、エジプトとヒッタイトは平和条約を結んで休戦し、ラムセス2世はヒッタイト王女を王妃に迎えた。これは世界史で最初の平和条約と呼ばれる。またカデシュの戦いにおけるラムセス2世の勝利の喧伝は、エジプト軍の軍制改革の妨げとなり後に災いを残すことになる。

ラムセス2世はまた、ナイル第1滝を越えてヌビアに遠征した。ラムセス2世は戦勝の記念碑を多く築き、現在もっとも記念碑の多く残るファラオとなっている。ヌビアは後にエジプトに同化され、本家エジプトの衰退を救う形で王朝を立てることになる。

カイサリアのエウセビウスなどキリスト教教会史家の間には、ラムセス2世を『出エジプト記』に登場するユダヤ人を奴隷から解放するようにモーセが要求したファラオと同一視する者がある(次代のファラオのメルエンプタハとする説もある)。

ラムセス2世はアブ・シンベル神殿を造営した。これはアスワン・ハイ・ダムの建設に伴って移転され、これを機に世界遺産の制度が制定された。現在アブ・シンベル神殿は世界遺産に登録されている。他にも「カルナック神殿」や「ラムセス2世葬祭殿(ラムセウム)」等多数の建造物を残している。

2009年04月07日

現代邦楽

現代邦楽(げんだいほうがく)は音楽のジャンルのひとつ。 琴・三味線・尺八等の和楽器による合奏が特徴。

『現代邦楽』の認知度は低く、用法にもぶれが見える。特に宮城道雄らの曲は古典に分類されることが多い。

『現邦(げんぽう)』、『現代曲』と略されることも多い。
歴史 [編集]
邦楽は、能や歌舞伎、長唄などとともに発展してきたという経緯があるため、雅楽を除いては、純粋に楽曲のみを鑑賞するという形式での演奏は行われなかった。 明治に入っての明治新曲の時期、また大正時代以後に宮城道雄が西洋音楽の影響をうけ、邦楽と西洋音楽の融合である『春の海』を発表すると、それに触発されたように四世杵屋佐吉・中能島欣一・杵屋正邦といった演奏家が「楽曲のみを鑑賞するための邦楽」をつぎつぎと発表した。この時期の音楽を新日本音楽と呼ぶ。

狭義としての現代邦楽の用語は、主に戦後に入ってからの作品を指す。1960年代後半より洋楽系の現代音楽の作曲家(日本人および幾人かの外国人も含む)の間に邦楽ブームと呼ばれる現象が起こり、邦楽の持つ音色や演奏美学が再認識された。特に武満徹の「ノヴェンバー・ステップス」(琵琶・尺八とオーケストラのための)は、世界的に認知されたこの分野の傑作である。しかし大阪万博以後、世界レヴェルで前衛音楽全体が停滞するに伴って日本の現代音楽界も勢いを失い、この1960年代邦楽ブームはやがて沈静化した。

現状 [編集]
現代邦楽における最大の問題として、歴史の浅さゆえの定番曲目の少なさがあげられる。三木稔・長澤勝俊らが積極的に作曲を行っていたが、長い歴史を持つ洋楽クラシックや古典邦楽のコンサートのように多くのレパートリーはない。一般向けの公演へは現代作品を数曲、それ以外は民謡や童謡、西洋音楽などを編曲し、使用している。また洋楽系現代音楽との関わりもそれほど多くない。特に1960年代後半の邦楽ブームが終焉して以後は、個人レベルでの交流は多少あるものの、大規模な公的機関によるバックアップは(雅楽の委嘱新作を手がける国立劇場を除き)特に行われていない。これは洋楽系の現代音楽が日本では公的機関からの文化的育成としての保護をあまり受けておらず、したがってほとんど人口に膾炙せずごく一部のファンや関係者のみで狭いコミュニティを作ってしまっており、また邦楽系では特に近世邦楽系が縦割りの流派とその一門という形でやはり狭いコミュニティとなっている現状が挙げられる。

しかしながら例えば武生国際音楽祭では毎年音楽祭の枠内で1回は必ず伝統曲および現代邦楽と洋楽系現代音楽を同時に取り上げる演奏会を催しており、日本音楽コンクール作曲部門でも室内楽が課題の年は選択できる編成に邦楽器を含めるなど、洋楽系現代音楽の立場から現代邦楽への歩み寄りが見られるのも事実である。日本音楽集団をはじめ、後続の水牛楽団、Aura-J、あるいは雅楽の伶楽舎、楽譜出版社のマザーアース、個人でも継続して委嘱を続ける演奏家など、邦楽系・洋楽系の区別を問わず、幅広く現代作品の新作の委嘱或いは出版により紹介している。また、邦楽器だけでなく、日本、中国、韓国などアジアの楽器を集めたオーケストラ・アジアのような団体も現代邦楽の幅を広げる活動をしている。こういった活動の継続から毎年のように邦楽器のレパートリーは蓄積されている。

また、上記のような現代音楽の流れとは別に、昨今ふたたび邦楽がブームになって来たこともあり、学生邦楽(大学の邦楽サークルを主体とするもの)をはじめとしたアマチュア邦楽はそれなりの人口を誇っている。しかし、現代音楽の流れを汲む作品は、その演奏難度からあまり好まれず、吹奏楽や合唱と同じようにその分野専門の作曲家が活躍している。音楽芸術の進歩を求める前衛性よりも伝統的な邦楽の様式を受け継ぐことを良しとしたり、皆で楽しむための音楽としての需要もあろう。

教育分野では、東京藝術大学や洗足学園音楽大学現代邦楽研究所などで邦楽器の専門教育が行われている。また1965年にNHK邦楽技能者育成会が結成され、演奏家の育成が行われている。近年は小中学校でも邦楽器を取り上げるよう教育規程が見直され、子供たちが自国の伝統邦楽に興味を持つことが期待されている。

現在NHK-FMの邦楽番組「邦楽のひととき」と「邦楽百番」のいずれかで月1回現代邦楽を特集して放送している。(ただし放送されない月もある。)

キーワ マラガ エンドロ せきがく ゆずりは シリアス パンパ ミント 春紫苑 ヒッピ マスタ ビューロ シーア ネーム たこあし スミス ビリティ ニッパー パンチ メチエ マフラー ガビアル きがん デュープ ナップ キーポイ うぐい ラティーノ テキスト キミと僕 サイトリー バーミュ マティ たいこう トトス フォーク ジンキケロ バランス フラッペ ルネサ シンシティ メリット トーン ファントム ジャングル エレジー タンク タール 光夜宴 プルーフ

2009年03月23日

特殊狭軌線の中で特殊な例

特殊狭軌線の中で特殊な例が大日本軌道小田原支社線である。小田原-熱海間を運行していた同線は、東海道本線の経路が熱海経由となるに当たって、並行線として経営が立ちゆかなくなることを予想し、1920年に国有鉄道へ一切の施設を売却した。

他の場合ならばこのまま国有鉄道線に組み入れられるところだが、この場合はそうはならず、国有鉄道は設備・車両を保有するのみで、運営に関しては民設の「熱海軌道組合」が当たることになった。いわば「国有民営」の状態である。

同線はその後主に丹那トンネル建設工事の作業員輸送に用いられたが、1922年に国有鉄道の小田原-真鶴間が開業するに伴い並行区間を廃止。その後国有鉄道の熱海到達まで維持される予定であったが、その直前の1923年に関東大震災で潰滅し、そのまま廃止となった。

同線は表向きは完全に私鉄であり国有鉄道線であったことはないが、設備・車両が国有だったという意味で、国有鉄道の特殊狭軌線に類する路線としてとらえることが可能である。また『日本国有鉄道百年史』でも買収路線として取り扱われている。

軌間762mmという国有鉄道の規格から外れた路線であったため、車両は官設線の湧別線で使用するために輸入したケ200形蒸気機関車などわずかな例を除き、被買収私鉄の車両に国有鉄道車両としての形式を与えてそのまま使用した。ただし買収されずに廃車・譲渡された車両も多い。

車種は被買収私鉄に蒸気鉄道が多かったことから蒸気機関車と客車・貨車がほとんどで、ごくわずかに内燃機関車(ガソリン機関車)と電気機関車、気動車が存在し、電車は存在しなかった。

形式記号は、蒸気機関車の場合は動輪数を示すアルファベットをつけずに「軽便」の「ケ」に直接形式番号をつけた。その他の車両も「ケ」の後に国有鉄道の称号規程に準じて車種を示す記号をつけた。これは内燃機関車・電気機関車にも行われ、「ケDB10形」「ケED10形」のように片仮名とアルファベットが混在する形式記号も存在した。

形式番号については特に規程が存在したという記録は残っていない。ただし、機関車の大きさについては一応の配慮がなされており、1912年製のケ200形と1919年製のケ100形を基準として、機関車の大きさに応じて上下に展開した。そのため、1067mm軌間の機関車のように形式番号が5の倍数にならず、「ケ158形」のような中途半端な端数を持つ形式が発生したり、本来なら同形式になってしかるべき車両が複数の形式に分裂したりするなど、形式の濫造が起こった。またケ1形が存在せず、最小形式がケ90形であったのもこのためである。
バース むぐら ティラミス スカーレット テキーラ 吉日 メルルー ももいし 高潔 サーチ花粋 オーラップ フロア ブイヤ マデイラ シュロ コムタン 滝の白糸 西村 ネガ トール いこて ツリフネソ ミドル マインド ビッグ ラット レックス 夾竹桃 キエフ ラクーン ブルガリ チョッパー メンデル バリウ モルガ ピュアコ バグダッド ひおき マイナ トウガラシ なんぽろ ライフボート ルミッ リアダ ステロール ジャスミン 水玉シャツ ジャンボ シプル パスボール

これらの車両は改軌後、私鉄に譲渡されたものもあったが、多くはそのまま廃車となるか、他の特殊狭軌線での車両増備のために転属させられたり、工事線に転属させられたりした上で、余剰になり次第廃車にされた。ただし蒸気機関車の中には特殊狭軌線自体が消滅した後も車籍を有して各地を転々としたものもあったため、特殊狭軌線の車両はケ92号が1958年に札幌の苗穂工場で解体されるまで生き残っていた。この間、これらの車両が工事用などに使用されていたのか、それとも単にたらい回しにされていたのかはつまびらかでない。

このように規格外の車両として早く処分されてしまったために、現存する車両は極めて少なく、太多線で用いられていたケ90・ケ91号と、湧別軽便線で使用されていたケ204号の3両がわずかに残されているのみである。

ケ90号は東海旅客鉄道社員研修センター(旧中部鉄道学園・愛知県名古屋市千種区)の構内、桜通沿いにある展示場にカットモデル化されて保存、ケ91号は浜松工場(静岡県浜松市中区)にほど近い遊歩道「堀留ポッポ道」に一部カットされた状態で保存されている。なお両車とも野外保存で公道から観察可能な点は同じであるが、公開環境は大きく異なる。ケ91号は柵もなく機関車自体に触れることが可能で、機関室に入ることも出来るほか、市により石綿対策が行われるなど積極的に公開が行われている。一方ケ90号は当初展示場ごと一般開放されていたが、近年になって入口が閉鎖されてしまい、車両に近づけなくなって事実上の公開中止状態となっている。

ケ204号は一度廃車になって業者の手に渡った後、当時日本統治下だった台湾の台東製糖会社が購入し旅客営業に使用した。同線が台湾総督府鉄道部に買収された後は台東線のL32号→L30号→LC121号となり、台湾が中華民国政府の統治になった後は台湾鉄路管理局の台東線に引き継がれてLCK31号として用いられた。廃車後そのまま現地で保存されることになり、現在は花蓮空港の近くにある「光隆礦石科技博物館」(花蓮県新城郷康楽村)の庭に木造有蓋車とともに野外保存されている。「日本の機関車」としてではなくあくまで「台湾の機関車」としての保存であり、改造のうちに製造銘板は失われ、水タンクや窓が変更されるなど一見してケ200形とは分かりづらい状態になっているが、それ以外の部分は全て原形を残している。ただし修復がなされているものの車体のあちこちに傷みが見られ、保存状態が余りいいとは言えない。車両の周囲に柵などは設けられておらず、自由に近づくことが出来るようになっている。

形式一覧 [編集]
以下、各車種の形式をほぼ時代順に列記する。蒸気機関車以外のかっこ内は使用線区。

蒸気機関車 [編集]
【営業線用】

ケ200形(200 - 206) - 1912年、独オーレンシュタイン&コッペル製 - 車軸配置0-6-0(C)
ケ190形(190 - 193) - 旧仙北軽便鉄道1 - 4 - 1911年、英エイヴォンサイド製 - 車軸配置0-6-0(C)
ケ120形(120, 121) - 旧魚沼鉄道3, 4 - 1912年・1914年、独オーレンシュタイン&コッペル製 - 車軸配置0-4-0(B)
ケ145形〔初代〕(145, 146) - 旧千葉県営鉄道3形(1, 2) - 1912年、独オーレンシュタイン&コッペル製 - 車軸配置0-4-2(B1)
ケ158形(158) - 旧千葉県営鉄道4形(3) - 1914年、独オーレンシュタイン&コッペル製 - 車軸配置0-6-0(C)
ケ90形(90, 91) - 旧東濃鉄道A形(1, 2) - 1918年、大日本軌道鉄工部製 - 車軸配置0-4-0(B)
ケ500形(500 - 504) - 旧苫小牧軽便鉄道B1形(1 - 5) - 1906年、米H.K.ポーター製 - 車軸配置0-6-0(C)、テンダー機関車
ケ510形(510 - 512) - 旧日高拓殖鉄道D形(1 - 3) - 1923・1926年、橋本鉄工所製 - 車軸配置0-6-0(C)、テンダー機関車
ケ220形(220 - 224) - 旧宇和島鉄道1 - 3, 5, 6 - 1913-1924年、独オーレンシュタイン&コッペル製 - 車軸配置0-6-0(C)
ケ230形(230) - 旧宇和島鉄道4 - 1918年、大日本軌道鉄工部製 - 車軸配置0-6-0(C) - ケ218形と同形
ケ130形(130) - 旧両備鉄道1 - 1913年、独ヘンシェル・ウント・ゾーン製 - 車軸配置0-4-0(B)
ケ240形(240) - 旧両備鉄道10 - 1924年、独オーレンシュタイン&コッペル製 - 車軸配置0-6-0(C) - ケ217形と同形
ケ250形(250 - 252) - 旧愛媛鉄道1 - 3(それ以前は南満州鉄道) - 1904年、米ボールドウィン製 - 車軸配置0-6-0(C) - ケ231形、ケ290形と同形
ケ260形(260) - 旧愛媛鉄道4 - 1916年川崎造船所製 - 車軸配置0-6-0(C) - ケ270形と同形
ケ140形(140) - 旧愛媛鉄道5(それ以前は両備鉄道2) - 1913年、独ヘンシェル・ウント・ゾーン製 - 車軸配置0-4-0(B)
ケ145形〔二代〕(145, 146) - 旧大隅鉄道1, 2 - 1915年、深川造船所製 - 車軸配置0-4-0(B)
ケ270形(270) - 旧大隅鉄道3 - 1916年川崎造船所製 - 車軸配置0-6-0(C) - ケ260形と同形
ケ280形(280, 281) - 旧大隅鉄道4, 5 - 1922・1924年、日本車輌製造製 - 車軸配置0-6-0(C)
ケ290形(290, 291) - 旧宮崎県営鉄道(飫肥線)ヲ1, ヲ2(それ以前は南満州鉄道) - 1904年、米ボールドウィン製 - 車軸配置0-6-0(C) - ケ231形、ケ250形と同形
ケ231形(231 - 236) - 旧岩手軽便鉄道1 - 6(それ以前は南満州鉄道) - 1904年、米ボールドウィン製 - 車軸配置0-6-0(C) - ケ250形、ケ290形と同形
ケ92形(92) - 旧岩手軽便鉄道11 - 1913年、独オーレンシュタイン&コッペル製 - 車軸配置0-4-0(B)
ケ237形(237, 238) - 旧岩手軽便鉄道7, 8 - 1916年、大日本軌道鉄工部製 - 車軸配置0-6-0(C)
ケ239形(239) - 旧岩手軽便鉄道9 - 1919年、雨宮製作所製 - 車軸配置0-6-0(C)
ケ93形(93 - 95) - 旧佐世保鉄道1, 2, 4 - 1919年、大日本軌道鉄工部/雨宮製作所製 - 車軸配置0-4-0(B)
ケ96形(96) - 旧佐世保鉄道3 - 1919年、楠木製作所製 - 車軸配置0-4-0(B)
ケ700形(700) - 旧佐世保鉄道5, 6 - 1922.1923年雨宮製作所製 - 車軸配置0-4-2(B1)
ケ800形(800 - 803) - 旧佐世保鉄道7 - 10 - 1931年、若津鉄工所製 - 車軸配置2-4-2(1B1)
ケ97形(97) - 旧佐世保鉄道11, 12 - 1896年、英W.G.バグナル製 - 車軸配置0-4-0(B)
ケ600形(600) - 旧佐世保鉄道13(それ以前は岡本彦馬専用鉄道3) - 1894年、米ボールドウィン製 - 車軸配置0-6-2(C1)
ケ215形(215) - 旧佐世保鉄道14(それ以前は摂津鉄道4) - 1893年、瑞SLM製 - 車軸配置0-6-0(C)
ケ99形(99) - 旧佐世保鉄道15 - 1919年、久保鉄工所製 - 車軸配置0-4-0(B)
ケ216形(216) - 旧佐世保鉄道16 - 1920年、雨宮製作所製 - 車軸配置0-6-0(C)
ケ217形(217) - 旧佐世保鉄道17(それ以前は両備鉄道9) - 1924年、独オーレンシュタイン&コッペル製 - 車軸配置0-6-0(C) - ケ240形と同形
ケ218形(218, 219) - 旧佐世保鉄道18, 19 - 1918年、大日本軌道鉄工部製 - 車軸配置0-6-0(C) - ケ230形と同形
ケ702形(702) - 旧佐世保鉄道20 - 1916年、米H.K.ポーター製 - 車軸配置0-4-2(B1)
ケ703形(703) - 旧佐世保鉄道21(それ以前は耶馬渓鉄道1) - 1913年、独オーレンシュタイン&コッペル製 - 車軸配置0-4-2(B1)
【工事線用】

ケ100形(100 - 105) - 1919年、雨宮製作所製 - 車軸配置0-4-0(B)
ケ100形(106 - 107) - 1922年、深川造船所製 - 車軸配置0-4-0(B)
ケ110形(110, 111) - 1922年、日本車輌製造製 - 車軸配置0-4-0(B)
ケ150形(150 - 153) - 1919年・1920年、深川造船所製 - 車軸配置0-6-0(C)
ケ160形(160 - 169) - 1922年、雨宮製作所製 - 車軸配置0-6-0(C)
ケ170形(170 - 185) - 1923年、深川造船所製 - 車軸配置0-6-0(C)
ケ210形(210 - 214) - 1922年、深川造船所製 - 車軸配置0-6-0(C)

2009年03月08日

ウォーラーステインによれば

ウォーラーステインによれば、近代世界システム[12]は「中核」、「半周縁」、「周縁」の3部分から構成され、それ自体の内的運動によって不断に膨張しつつ変化する「史的システム」であり、そのシステムは資本主義的な「世界経済」の形態をとっており、この「世界経済」は「長期の16世紀」にその起源を持っていること、そして、そこには、特有の生産物再分配様式、つまり貢納による再分配の様式(これを、ブローデルは「経済上のアンシャン・レジーム」と呼ぶ)から、全く異質な社会システムへの「移行」があった、としている[13]。また、資本主義的な「世界経済」は、単一の分業によって結ばれておりながら、政治的には多中心であり、文化的にも多様である。その点が、16世紀以前の「世界帝国」とは異なるとした。

そして、史的システムとしての「世界経済」の変動には「循環運動」と「長期変動」があり、前者は資本主義生産の無政府性と有効需要の限界から生まれ、ほぼ4、50年の周期で繰り返される拡張と好況、停滞と不況の2局面の交替に代表されるのに対し、後者は利潤増大のための生産諸要素(財貨・土地・労働力)の不断の商品化、生産における機械化、世界経済の地域的広がり、さらには社会運動、労働運動ないし民族運動のかたちをとった反体制運動としてあらわれる。この二者の相互作用のうえに「世界経済」は生命のサイクルにも相似する発生・成長・衰退・死滅の経過をたどるであろうとした。

また、ウォーラーステインは「世界経済」における「循環運動」に呼応して、その上部構造である「国際システム」に「勢力均衡」と「覇権(ヘゲモニー)国家」の出現の周期的交替が起こるとした。「勢力均衡」を支えるのは列強、すなわち「中核」「半周縁」の諸国民国家であり、これは本質的にはそれぞれの国の支配階級が「世界経済」のなかで自己の利益を追求し、実現していくための手段であるが、それはあくまで国際システムの構成要素にすぎず、必ずしも自律的な存在ではない。諸国家間の「勢力均衡」は「中核」のどれか一国が「世界経済」を一元的に支配する「世界帝国」となることを妨げる。

世界システム内において、ある「中核」の国家が他の「中核」に属する諸国家を圧倒している場合、その国家を「覇権国家」と呼ぶ。ウォーラーステインによれば、表に示したように、覇権はオランダ、イギリス、アメリカ合衆国の順で推移したとされる。ウォーラーステインは、オランダの「覇権」を1625年から1975年にかけてとしており、「オランダ以外のいかなる国も、これほど集中した、凝集性のある、統合された農=工業生産複合体をつくりあげることができなかった」と評している[13]。しかし、ウォーラーステインに師事した山下範久は、「覇権」と呼びうるか疑問を呈している[14]。これらに共通するのは、その国が「覇権」のピーク時に生産、流通(貿易)、金融の各分野であいついで優位に立ち、軍事・政治そして文化の各領域でその支配と価値を他国に強要できることである。しかしその「覇権」は全能でも永遠でもなく、やがて上述した各分野・領域における優位が次々に失われ、再び列強が対峙する「勢力均衡」へと道をゆずる。

なお、ウォーラーステインは、世界が資本主義の「世界」と社会主義の「世界」に分断されていると理解されてきた冷戦期にあっても「世界経済の一体性」を強調した。彼は、ソヴィエト連邦が近代世界システムのなかでアメリカ合衆国と政治的には敵対することで、むしろ機能的には世界経済を安定化させていると論じている。

このように整理されたウォーラーステインの考え方は彼の学問上の師であるブローデルに逆影響して、その『物質文明・経済・資本主義』において、「世界=経済」というかたちでより広い視野のもと多角的な視覚から考察されている。さらに国際政治学にも影響をあたえ、ジョージ・モデルスキーの覇権循環論(長波理論)に共感をもってむかえられるなど多方面にわたる影響をおよぼしている。彼は、

フリードリッヒ・リストによる、未開状態→牧畜状態→農業状態→農工状態→農工商状態
カール・ビュッヒャーによる、家内経済→都市経済→国民経済
マルクス主義(弁証法的唯物史観)による、原始共産制→古代奴隷制→封建社会→資本主義社会→共産主義社会
ウォルト・ロストウによる、伝統的社会→離陸の準備段階→離陸(テイク・オフ=産業革命)→成熟への前進段階→大量消費社会
など、一連の経済発展段階説を乗り越え、世界を一体として把握する、巨視的で新しい歴史学の道を開拓した。

学校教育における用語の登場
平成10年(1998年)7月の教育課程審議会答申では高等学校地理歴史科「世界史A」の改善事項として、次のように指摘されている[15]。

近現代を中心に、諸文明の特質と世界の一体化の過程を地理的条件と我が国の歴史の展開との関連に留意しながら理解し、現代の諸課題を歴史的な観点から追究することを一層重視する。

このような指摘をうけて、平成11年(1999年)3月29日、「世界史A」の新しい高等学校学習指導要領が告示された。[16]。以下に3つの大単元とそれぞれの単元目標を示す(中項目以下の内容については省略する)。

諸地域世界と交流圏
風土,民族,宗教などに着目させながら,ユーラシアを中心に形成された諸地域世界の特質を把握させる。また,諸地域相互の交流に触れ,世界の一体化につながる交流圏の成立に気付かせる。
一体化する世界
16世紀以降の世界商業の進展と産業革命後の資本主義の確立を中心に,世界の一体化の過程を理解させる。その際,ヨーロッパの動向と日本などアジア諸国の対応に着目させる。
現代の世界と日本
地球規模で一体化した現代世界の特質と展開過程を理解させ,人類の課題について考察させる。その際,世界の動向と日本とのかかわりに着目させる。
この改正によって初めて「世界の一体化」の用語が登場しており、そればかりではなく「世界史A」は「世界の一体化」の観点を基軸とする科目として再構成されたといってよい改訂内容となっている。なお、同指導要領は、平成14年5月、15年4月、15年12月にそれぞれ一部改正がなされている[17]。
キネテ 紅葉の旅 菊座おり しぼり キューシ チェリー シンボル オートキプ ニース オレン よぶすま ラン タイト フォール オムレツ フーガ グマー ディム ドナルドック かみす ラビ ふじ豆 エッグ エッジボール レプラ タロッ 全国通 タウン ガーネット スイッチ デニム マハラ ロール コロンブス タスク フェーン パツ バルカン スケッチ タロー プレッピ ロッタリ メッキ しとみや スイー ロード ハドロン ゆうじょ テーベ

「世界史B」では、当該用語そのものは登場していないが「諸地域世界の結合」「世界の支配・従属関係を伴う一体化」の観点からの内容が盛りこまれた[16]。それを受けて、現在、高等学校の世界史教科書では各社とも「世界の一体化」の観点を重視しており、特に世界史Aでは重要語句として扱っている。世界史A教科書の執筆にたずさわった近藤和彦(東京大学)の「グローバル化の世界史」[18]では、世界史教科書の組み立てと歴史の書き直しに関する感想、グローバリズム時代の世界史にまつわる所論と展望を展開している。

大学教育においても「世界の一体化」の観点は近年きわめて重視されており、講義シラバスなどに当該用語を用いる例が増えている。田中ひかる(大阪教育大学)の講義シラバス「近代世界システムの歴史と現在」[19]などが該当する。なお、学術的論文においても中澤勝三(弘前大学)の論文「近代世界システム論の射程― 重商主義の位置づけをめぐって ―」[20]のように、「世界の一体化」の用例は一般的なものになりつつある。

2009年02月19日

可変モビルスーツ

可変モビルスーツ(かへんモビルスーツ、TRANSFORMABLE MOBILE SUIT: TMS)は、アニメ『機動戦士ガンダム』をはじめとする「ガンダムシリーズ」に登場する架空の兵器・モビルスーツのうち、人型とは違った形態に変形することが可能であるものを指す。
ナビイサク シュレッ ながしの ステータス プロト イ短調 スプリ ジスト タープ ルテイン リストア スープ オプティ フェア マグナム プロトン メラノ プロローグ オール アップ ジボソン シュプ チャプチ レット サルコメア シアン ディア ピクチャ オムガイド インソ オーナ アマ ビルダー オペック バック らんこし ブエノス コッヘル フォー シルバー ビジホン たまごいろ パーマ ヒサカ ジャンル ハスキ アリスム 便利に生活 クロス バッファ

モビルアーマー形態での運用を主としたものを可変モビルアーマーとも言うが、可変モビルスーツとの違いは特に明確ではない場合がある。

シリーズで初めて可変モビルスーツが登場したのは『機動戦士Ζガンダム』であり、その後作られた作品のいくつかにも登場している。

一年戦争中にジオン公国軍が作り出したモビルアーマーは、高速で移動でき攻撃力も高かった反面、局地専用に特化されたものであるためモビルスーツのような汎用性には乏しかった。そこでまずはモビルアーマーをモビルスーツ形態に変形させ、両方の能力を持たせることでその欠点を無くそうとした。この時作られたのがアッシマーやギャプランである。アッシマーからはマグネット・コーティングが、ギャプランからはムーバブルフレームが導入され、変形に要する時間を1秒以内に短縮する事ができた。そして、この技術をモビルスーツに転用したのが可変モビルスーツである。

モビルスーツの汎用性や格闘戦能力とモビルアーマーの機動性という長所を併せ持ち、一撃離脱攻撃を得意とする。また、大気圏内ではモビルアーマー形態に変形することで単独での飛行を可能とした。モビルアーマー形態に変形するメリットとして、スラスターの方向を集中することによる高速移動の実現と、各ユニットを集中させることで慣性モーメントの低減・剛性の向上がある。またZガンダムの様に単独での大気圏突入能力を持つものや、木星宙域での稼動を前提としたメッサーラなど、特殊な能力を付加された機体も存在した。

ちなみに、地球連邦軍において可変モビルアーマーが開発された時点で、アクシズはムーバブルフレームに寄らない独自の可変モビルスーツ、ガザシリーズを開発している。元は作業用に開発されたものだったが、その能力と生産性の高さのため、正式採用・量産されている。これらのモビルスーツは便宜上第3世代モビルスーツの分類に扱われている。

可変モビルスーツはグリプス戦役において様々な試作機が実戦投入され、特に大気圏内及び付近において大きな戦果を挙げている。また通常の機体に対しては、戦闘を継続するか否かの選択権を持つため生存率が高かった。しかし変形機構を組み込んだモビルスーツは当然通常のそれより機構が複雑になってしまうため、整備に膨大な時間と労力を必要とし、またコストも高騰するなど運用面のデメリットを払拭し切れなかった。そのため、アクシズ(ネオジオン)のガザシリーズのような例外をのぞいては本格的な量産はされず、試作機がエースパイロット・エース部隊に引き渡される事の方が多かった。

また、様々な戦局での運用に対応すべく可変機構に加えて合体・分離機構を採用したモビルスーツも登場したが、製造コストが莫大になり、配備数は極僅かとなった。代表的機体としてはグリプス戦役後の第一次ネオ・ジオン抗争期のエゥーゴのエース機、ΖΖガンダムが挙げられる。このような可変モビルスーツの恐竜的進化に対し、リ・ガズィではバック・ウェポン・システムを採用して変形を不可逆・簡略化することで、簡易可変モビルスーツとして可能性が試みられている。可変モビルスーツの全盛期は第一次ネオ・ジオン抗争までで、結果として主力モビルスーツにはなり得ず、後の第二次ネオ・ジオン抗争などではその姿はほとんど確認されていない。

しかし、ザンスカール戦争においては再び一部のモビルスーツが変形可能な形態を見せており、ザンスカール帝国において一部はデュアルタイプと呼ばれている。

未来世紀における可変モビルスーツ
未来世紀においては、ネオアメリカ軍の可変モビルスーツ・マーフィーが確認されている。マーフィーはヘリコプター形態に変形することができるが、ネオアメリカは地球上にも広大な領土を持つため、広範囲の展開が可能なモビルスーツを必要としたものと思われる。

ガンダムファイトで使用されるモビルファイターは、操縦者であるガンダムファイターの全身の動きを再現するモビルトレースシステムを採用している。このため、一時的に高機動モードなどに変形する機体は比較的多いが(ゴッドガンダムなど)、人型以外の形態に変形できる機体は特殊環境でのファイトを前提としたもの(マーメイドガンダムなど)や、特殊な闘法を使うガンダムファイターが搭乗したもの(ジェスターガンダムなど)に限られる。

なお、シャッフル同盟の専用機は高速移動形態としてトランプのスート(紋章)に変形する機能を持つ。これはシャッフル同盟の任務の性質上、地球上のあらゆる危機に急速に駆けつける必要を持つためでありネオアメリカ軍の場合とよく似ている。ただし、ブラックジョーカーのみは変形機構がなく、ビームで機体を覆う方式をとっている。

アフターコロニーにおける可変モビルスーツ
アフターコロニーにおいては、コロニー側の原型機であるウイングガンダムゼロにバード形態と呼ばれる高速移動形態に変形する機構があり、ウイングガンダムにも受け継がれている。これはオペレーションメテオにおいて、広範囲に移動する必要があったためであると思われる。ただし、この変形機構は後に廃止されたようである。

OZ側では可変モビルスーツをあまり必要としていなかったと見られ、量産型モビルスーツではトラゴスやエアリーズ、トーラスなどに若干の変形機構が見られるだけである。

試作型モビルスーツや特殊用途のモビルスーツではガンダムエピオン、ガンダムアスクレプオスやハイドラガンダム、スコーピオなどに変形機構が見られる。特にスコーピオはその任務の性質上モビルアーマー形態を主としている部分があるため、可変モビルアーマーと呼ばれることもある。

アフターウォーにおける可変モビルスーツ
アフターウォーにおいては、ガンダムエアマスター及びガンダムアシュタロンとそれぞれの後継機が高速移動形態に変形する機構トランスシステムを持つ。

どちらも大気圏内での高速飛行を目的とした変形である。両機は背にモビルスーツを搭載しての飛行も可能であり、支援目的も持つようである。

なお、他にも新連邦軍のモビルスーツで機構トランスシステムに準ずる機能を持つもの(脚部を伸縮変形して飛行形態にすることが可能なMS・バリエント)も存在する。

正暦における可変モビルスーツ
正暦においても、可変モビルスーツは非常に少ない。カプル、イーゲルのシステムは変形というより姿勢変更に近く、完全に可変モビルスーツと言えるのはムットゥーやフラットのみである。

しかもムットゥーは宇宙世紀時代の可変モビルアーマー・バウンド・ドックまたはその後継機のレプリカと見られ、またフラットに関してもその型式番号からみてムーンレィス製ではないと考えられる。さらにフラットの兄弟機といわれる4LEGの変形機構は、コズミック・イラ時代のイージスガンダムの変形機構と同じであり、何らかの関連性が疑われている。このため、正歴時代に作られたモビルスーツには可変機はほとんど無かったといえる。

これは正歴に至るまでの永い歴史の中で技術が枯れ、以前には最大の変形目的であった大気圏内での飛行がミノフスキークラフト・ドライブやその他の技術によって人型でも可能になったためと考えられる。

コズミック・イラにおける可変モビルスーツ
コズミック・イラにおいて、最初にモビルスーツを実戦配備したのはザフト軍であり、可変モビルスーツは局地戦用モビルスーツとして、ザウートの移動速度向上のため脚部を無限軌道形態への変形や、グーンの水中航行形態への変形が可能になっている。

地球連合軍が開発したG兵器の1機イージスは、通常のMS形態のほかに強襲形態、高速巡航形態のモビルアーマーへ変形が可能であり、コズミック・イラにおいて戦術レベルまで[要出典]高められた初の可変性能を持っていた。後に、イージスのX300系フレームを受け継いだ可変モビルスーツレイダーが開発され、『ガンダムSEED MSV』では、レイダー制式仕様の量産化が行われ、地球連合軍の戦力増強に寄与した。

ヤキン・ドゥーエ戦役の終結後に締結されたユニウス条約により、地球連合・プラント双方にモビルスーツ保有数の上限が設けられ、地球連合軍はダガーLやウィンダム、ザフト軍はニューミレニアムシリーズを中心としたバックパックの換装により単機で複数の状況に対応可能なモビルスーツの開発が行われた。

地球連合は、主力モビルスーツをウィンダムに一本化する一方、大型機動兵器を次世代の主力機とする構想があり、そのコンセプトを元に大型可変モビルスーツデストロイを開発した。

一方でザフトはセカンドステージシリーズやバビ、アッシュを開発、局地戦において高い性能を発揮する一方でモビルスーツ形態への変形で通常戦闘にも用いる事が出来る。

オーブ軍が開発したムラサメは、戦闘機形態のモビルアーマーへ変形する事が可能であり、補助装備無しでの飛行能力を持っている。さらに同形態の主翼には数発の対艦ミサイルの搭載が可能で、対艦攻撃性能も向上している。宇宙でも運用可能な万能機をオーブ軍は主力とした。

『機動戦士ガンダムSEED ASTRAY R』では、イージスを強奪したザフト軍が可変モビルスーツとしてリジェネレイトを開発した。

『機動戦士ガンダムSEED C.E.73 ? ASTRAY』では、イージスは量産には至らなかったものの、アクタイオン・プロジェクトによって再建造されたものが、ロッソイージスとして開発された。同機はオリジナル機を上回る多くの変形機構を有している。

『機動戦士ガンダムSEED C.E.73 ? ASTRAY』では、火星のコロニー郡がジャンク屋組合の協力の下完成させたガードシェルが存在する。三脚型形態に変形するユニークな可変モビルスーツである。

西暦(機動戦士ガンダム00)における可変モビルスーツ
『機動戦士ガンダム00』の舞台である西暦2300年代の地球は、ユニオン、人類革新同盟、AEUの三大勢力が存在し、この内ユニオンとAEUの主力MSは可変MSである。しかし2307年時点の主力機であるVMS-15リアルドやAEU-05ヘリオンは作戦行動中の変形は考慮されておらず、変形は出撃前の換装作業によってのみ可能であるため、戦闘中に変形が可能となるのは後継機であるSVMS-01フラッグとAEU-09イナクトからである。しかし、実際に戦闘中に変形したのはユニオンのグラハム・エーカー他少数のエースパイロットのみである。しかし、地球連邦平和維持軍設立を前後して擬似太陽炉搭載機が主力となり、これらはMS形態においても従来機を凌駕する機動性を有しているため、可変MS存在意義が無くなったため新規開発は行われていなくなったと見られる。

ガンダムタイプではソレスタルビーイングが有するGN-003ガンダムキュリオス、『機動戦士ガンダム00F』にてその下部組織であるフェレシュテが有するGNY-003ガンダムアブルホール(タイプF)が可変機構を備えている(アブルホールの場合は不完全である)。 後のセカンドシーズンでは、キュリオスの設計思想を受け継いだGN-007アリオスガンダムが登場する。

2009年02月03日

大友氏(おおともし)は、鎌倉時代から戦国時代

大友氏(おおともし)は、鎌倉時代から戦国時代にかけて、九州の豊後国(現大分県)を本拠とした一族。豊後・筑前・筑後など北九州を支配した守護職・守護大名。戦国時代には豊後の戦国大名に成長するが、豊臣政権期に改易された。
ダーラン サフィ サウンド サイド バング レウイ ルンペン レバノン ブラック シード バレー ソフトダ ロッシュ メロン シャーリ おおばなさ クリーン きゅうせき ケマン カイドウ くしびき ハーフ フェア ビリティ ユーエ モッツ ルヒル ヒューズ ライダー 幸福 リンクス マチン ユッケ スリラー YELLOW テレカ ゲート セッション 風の足跡 オンシ 艶姿 検索ジム バースト テレフ ハック プライ ダバード ワクシニア オーバ モンテ

初代当主の近藤(古庄)能直は、母方の生家の波多野経家の相模国大友荘(現在の神奈川県小田原市)を支配していたことから大友能直と称した。これが、大友氏の起源である。能直は、相模国愛甲郡古庄の郷司の近藤能成(古庄能成とも)という鎌倉幕府の幕臣の息子として生まれた。幼児の頃は古庄能直と名のり、次いで父の苗字から近藤能直と名のり、その後、頼朝の側近であった中原親能の猶子となった(中原能直と名のる)とする説が有力である。

近藤能成は、藤原秀郷の子の千常の6代後の近藤景頼の子とするのが通説といえるが、藤原利仁の9代後の近藤貞成の子であるという説もある。近藤氏という無名に近い一族の子孫が能直以降において興隆したのは、初代大友能直が源頼朝の寵愛を受けたことにあるが、それは母(利根局)が源頼朝の妾でもあったことや(ゆえに能直は頼朝の落胤であったとする説もある)、源頼朝の信認が非常に厚かった中原親能の猶子となったことに拠るところが大きいという指摘もある。元は無名の一族でありながら源頼朝による抜擢がその後の一族の興隆の因となった点では島津氏、少弐氏と共通しているといえよう。

鎌倉時代
初代当主・大友能直の時代に大友家は豊後・筑後守護職と鎮西奉行職に輔任された。しかし能直と第2代当主・大友親秀の時代には豊後に下向したという記録は残されていない。九州に下ったのは能直の宰臣の古庄重吉とされる。ただし、大分県豊後大野市大野町藤北に能直のものと伝えられる墓がある。大友氏が豊後守護に補任されたのは、少弐氏や島津氏の場合と同じく、かつては平家の基盤であり、平家の家人だった武家の多い九州に対する源頼朝の東国御家人による抑えの役割があった。

第3代当主・大友頼康の代に豊後に下向する。文永の役を前にした異国警固のためとされるが、また大友氏の興隆は初代の能直の源頼朝との個人的な関係に基礎を置くため、源家滅亡後の北条氏の執権体制の東国では微妙な位置に置かれたことにもよる。頼康は元寇における戦いで武功を挙げて活躍し、大友氏興隆の基礎を築き上げた。以後、大友氏は分家とともに豊後に定着し、一族庶子を在地豪族の養子として所領を収奪し、勢力を拡大していく。

南北朝・室町時代
元弘3年(1333年)に後醍醐天皇の討幕運動から元弘の乱が起こると、九州では第6代当主・大友貞宗などが少弐貞経らとともに鎮西探題の北条英時を滅ぼす功績を挙げた。鎌倉幕府滅亡後に後醍醐天皇による建武の新政が開始されるが、後醍醐の新政から足利尊氏が離反し、尊氏は摂津地域の戦いで敗れ、九州に逃れる。尊氏を迎えたのは少弐氏であり、多々良浜の戦いで宮方の菊池氏に勝利するが、大友氏も足利方に属した。足利氏は九州統治のために一色範氏を九州探題として残して上京し、京都を占領して武家政権を成立させる。

なお、九州では南朝勢力が強大化していたため、第9代当主の大友氏継は御家存続のために南朝に与するも、家督を弟の大友親世に譲って第10代当主となし、北朝方に与させた。これにより、大友家は氏継系と親世系に分裂することになる。

大友氏は当初は九州探題とは一定の距離を置いたが、南北朝時代には応安3年(1370年)に九州における南朝勢力の懐良親王の征西府を討伐するために足利幕府が今川貞世(今川了俊)を派遣すると、大友親世は貞世に接近して所領を拡大し、九州が平定されると大内義弘とともに讒言を行い、今川貞世を失脚させている。大内氏は応永の乱で一時没落するが、室町時代から戦国時代まで大友、大内、少弐の抗争は続くことになった。永享3年(1431年)に第12代当主・大友持直は大内盛見を討ち、九州の権益をなおも確保した。しかし大内持世の反撃を受け、さらに親直と敵対する大友親綱が持世に与して反抗したため、大友家の内紛が始まることとなる。

この内紛は、文安元年(1444年)に氏継派・親世派の両派から支持されて第15代当主となった大友親繁によって統一された。

しかし親繁の死後、第16代当主の大友政親と第17代当主の大友義右が対立して内紛を起こし、一時的に大友家は衰退する。明応5年(1496年)5月には大友政親が実子の大友義右を毒殺し、6月には政親が大内義興により自害に追い込まれて大友家は滅亡の危機に立たされるが、政親の弟・大友親治が第18代当主となって内紛を鎮め、第19代当主の大友義長のときには肥後に進出を果たすなどして戦国大名へと飛躍した。

戦国・織豊時代
第20代当主・大友義鑑のときには肥後や筑後に進出する。しかし天文19年(1550年)の二階崩れの変で、義鑑は家臣によって殺された。

その後を継いだのが、キリシタン大名で有名な第21代当主・大友義鎮(大友宗麟)である。この頃には立花道雪ら有能な家臣団の存在にも助けられ、大友家は飛躍的に勢力を拡大する。天文20年(1551年)には大内義隆が家臣の陶隆房(陶晴賢)の謀反により死去すると、義鎮は弟の大内義長を大内家当主として送り込み、北九州の旧大内領はもとより、周防や長門にも影響力を誇った。弘治3年(1557年)に義長が毛利元就に討たれて大内氏が滅亡すると、周防・長門方面での影響力は失ったが、北九州の権益の大半は確保した。さらに宗麟はキリシタンを保護し、自らも改宗した。このことにより豊後府内には日本初の西洋式病院が設けられるなど、南蛮文化が花開いたが、反面、元来より八幡信仰や仏教信仰の篤い家臣団との軋轢をもたらすこととなった。

また、宗麟が早くに家督を子の大友義統に譲って第22代当主と成したが、これにより天正年間には宗麟・義統の二元政治に弊害が現れ、大友家は内部から抗争が起こるようになる。

さらに対外戦争でも、元亀元年(1570年)の今山の戦いで龍造寺隆信に、天正6年(1578年)の耳川の戦いで島津義久に大敗を喫してしまった。特に後者の大敗では多くの有力武将を失う結果となり、それまで大友氏の幕下にあった肥前・筑前・筑後の国人領主が、龍造寺氏や秋月氏を筆頭に次々と謀反の反旗を翻し、大友氏は危機的状況に陥る。天正12年(1584年)、龍造寺隆信が島津氏の前に戦死すると、筑後方面で巻き返しを図るが、今度は島津氏の侵攻を受けることとなり、天正14年(1586年)には大友家の本国である豊後にまで侵攻されることとなった。

しかし宗麟は当時の天下人である豊臣秀吉に支援を要請して自ら臣従したことにより、秀吉の九州征伐が開始されることとなり、島津氏は豊臣氏の前に敗れ、大友家は豊臣政権下で存続することとなった。このとき、宗麟は秀吉より豊後1国を安堵される。

しかし宗麟の死後、義統は文禄の役における敵前逃亡を咎められ、文禄2年(1593年)に秀吉の命令で改易された。義統は秀吉死後の慶長5年(1600年)に起こった関ヶ原の戦いで、西軍の毛利輝元に支援されて挙兵して豊後に侵攻し、細川忠興の領地となっていた豊後の奪回を計るが、石垣原の戦いにおいて黒田孝高(黒田如水)の軍に敗れて降伏した。

江戸時代
義統の嫡子である大友義乗は、義統の没後、旗本として取り立てられるが、その子の義親の代になって無嗣のため断絶する。義乗の弟の正照は肥後にあって松野正照と称していたが、その子の義孝をもって大友氏を再興し、江戸時代には大身旗本・高家として存続した。

歴代当主
大友能直
大友親秀
大友頼康
大友親時
大友貞親
大友貞宗
大友氏泰
大友氏時
大友氏継
大友親世
大友親著
大友持直
大友親綱
大友親隆
大友親繁
大友政親
大友義右
大友親治
大友義長
大友義鑑
大内義長
大友義鎮(宗麟)
大友親家
大友親盛
大友義統
大友義乗

      系譜
凡例 太線は実子(なお養子はあえて記載せず) 
    近藤能成

大友能直(近藤能直、古庄能直、中原能直)
     ┣━━━┳━━━┳━━━┳━━━┓
     親秀  能秀  時景  能郷  泰広
     ┣━━━┳━━━┓
     頼康  重秀  親泰
     ┃
     親時
     ┣━━━┳━━━┓
     貞親  秀直  貞宗
     ┏━━━┳━━━╋━━━┓        
     貞順  貞載  氏泰  氏時
             ┏━━━┫
             氏継  親世
             ┃   ┣━━━┓
             親著  持直  親隆
         ┏━━━┫
         親綱  親繁
         ┏━━━╋━━━┓
         政親  親胤  親治
         ┃       ┃
         義右       義長
          ┏━━━┫
          義鑑  義武
         ┏━━━╋━━━┳━━━┓
         義鎮  義長  塩市丸  親貞
         ┣━━━┳━━━┓
         義統  親家  親盛
         ┣━━━┓       
         義乗  正照
         ┃   ┃    
         義親  義孝
             ┃
             義閭
             ┃
             義武
             ┣━━━┓
             義珍  義方
             ┃
             義智

庶家
田原氏
堤氏
戸次氏
志賀氏
入田氏
託磨氏
臼杵氏
田北氏
吉弘氏
立花氏
木付氏
清田氏

大友氏主要家臣
立花道雪(戸次鑑連)
立花宗茂
吉弘鑑理
吉弘鎮信
吉弘統幸
高橋紹運
高橋鑑種
一萬田鑑実
一萬田鎮実
臼杵鑑続
臼杵鑑速
臼杵鎮続(紹冊)
瓜生貞延
瓜生勝忠
志賀親守
志賀親度
志賀親次
田原親賢
佐伯惟教
佐伯惟定
吉岡長増
朽網鑑康
朽網鎮則
朽網鑑房
田北鑑生
田北紹鉄
田北鎮周
斎藤長実
斎藤鎮実
角隈石宗
小原鑑元
甲斐宗運
阿蘇惟将
清田鎮忠

大友氏幕下国人領主
秋月種実(筑前)
蒲池鑑盛(筑後)
蒲池鑑広(筑後)
龍造寺隆信(肥前)
筑後十五城

2009年01月20日

応援団吹奏楽部

応援団吹奏楽部は、特に伝統校とされる大学でよく見かける、一種独特な立場にある音楽団体である。

学校のスポーツ応援では、応援時の鳴り物要員として吹奏楽が使われることが多い。中学・高校などでは文化部として設立された吹奏楽部が学校行事として応援に協力することが多いが、大学などでは応援活動を行うために応援団の傘下に常設団体として設立された吹奏楽部が応援を行なっていることもある。

当初は応援団の鳴り物部隊として設立された吹奏楽部が成長し、応援活動だけではなく、学校を代表する吹奏楽団体として幅広く音楽活動を行うようになった団体も多い。そういう意味では軍隊における音楽団体である前述の軍楽隊に類似した存在といえる。

応援団吹奏楽部が学内唯一の吹奏楽団体として活動している学校のほか、応援団吹奏楽部とは別にサークルや文化会所属団体として設立された吹奏楽団体が活動している学校もある。応援団吹奏楽部が学内唯一の吹奏楽団体である大学の場合、応援団吹奏楽部が大学を代表する吹奏楽団体として、応援活動と平行して音楽活動を行なっている例が多いが、応援団とは別の吹奏楽団体が学内に存在する学校の場合、応援活動は応援団吹奏楽部が担い、音楽活動は他の学内吹奏楽団体が担っている例が多い。

応援団吹奏楽部として設立されたものの、その後何らかの事情により応援団から独立した吹奏楽団体も存在する。応援団から独立した団体の場合、歴史的な経緯から文化会に所属する団体として活動するのではなく、文化会や体育会などから独立した、学生会(学友会)直属の独立した学生団体として活動している例もある。

また、応援団吹奏楽部として活動している団体においても、音楽活動と応援活動のバランス配分については、他の学内吹奏楽団体の存在や応援団本部との力関係、吹奏楽部自体の意思選択などの要因で、応援活動を吹奏楽部の主要活動目的として活動している団体から、吹奏楽部の主要活動目的は音楽活動という団体まで、かなりの温度差がある。

このような形態の吹奏楽団体は、体育会連合にも音楽団体連合所属するという複雑な立場にある場合が多い(ただし、所属の大学によりクラブ活動団体への対応が異なるため、一様には定義不能)。

市民吹奏楽団(市民バンド)
一般には学校や企業といった特定の組織に依存せず、市民サークルとして活動するアマチュア吹奏楽団を指すことが多いが、厳密な言葉の定義が存在しないため、特定校の卒業生しか入団できないOB吹奏楽団(OG吹奏楽団)なども含め、全日本吹奏楽連盟に一般の部として加盟登録される団体が全てここに分類されることもある。

構成員は社会人がメインとなるが、学生が参加することも多く、団員の大半が学生という市民吹奏楽団も存在する。

活動内容はそれぞれの市民吹奏楽団の活動方針によってさまざまであるが、各種演奏会の開催、全日本吹奏楽コンクールへの出場、地域の音楽祭への参加、慰問演奏などである。

市民吹奏楽団の多くは楽器の調達費や日々の活動資金の大半を所属団員から徴収する団費で賄っているが、市町村などの地方公共団体や各種民間団体などから支援を受けて活動している市民吹奏楽団も多い。

楽器編成は楽器を持つ者が自由意志で参加しているという性質上、アンバランスになることが多い。そのため、足りないパートを補うために他の市民吹奏楽団などから賛助出演者(助っ人・トラ(エキストラの略)などと呼ぶ場合も)を呼ぶこともあるが、管弦楽団ほど楽器編成に厳密性が求められていないと解釈されることが多い現状から 他の楽器で代用されることもある。

吹奏楽団の標準的な編成
吹奏楽に決まった編成はないが、おおむね現在使われる楽譜から最大公約数的な編成をいうと、次のようになる。

木管楽器
ピッコロ(フルートと持ち替えることがあるが、ほとんどの場合は独立している。)
フルート(通常2パート。)
オーボエ(多くの楽譜で記載があるが、このパートを欠いても演奏できるようになっていることが少なくない。)
イングリッシュホルン(主に大編成の曲で用いられる。持ち替えとして用いられることも多い。いずれの場合も、ソロの役割を担当することが多い。)
ファゴット(バスーン。中規模以上の編成の楽譜で記載があるが、このパートを欠いても演奏できるようになっていることが多い。)
コントラファゴット(多くは無いが編成に含まれる楽曲もある。)
ソプラニーノクラリネット(エス(E♭, Es)クラと呼ばれる。多くの楽譜で記載があるが、このパートを欠いても演奏できるようになっていることが多い)
ソプラノクラリネット(通常3パート。B♭管。ベークラと通称されることが多い。通常1パート2、3名程度。)
アルトクラリネット(多くの楽譜で記載があるが、このパートを欠いても演奏できるようになっていることが多い。)
バスクラリネット(B♭クラリネットより、記譜されている音が1オクターブ低い。主に低音、伴奏を担当。)
コントラアルトクラリネット(必須で指定されている楽曲はほとんど無いが、使用する演奏団体も少なくない。低音や音色の+αとして用いられることが多い。)
アルト・サクソフォーン(通常2パート。主にメロディを担当する。)
ソプラノ・サクソフォーン(指定されている楽曲もあるが、欠いても演奏できるようになっていることが多い。持ち替えの場合もある。)
テナー・サクソフォーン(オブリガートを担当することが多い。通常1パートだが、大編成だと2パートのこともある。)
バリトン・サクソフォーン(低音を担当。バスクラリネットとユニゾンのことも多い。)

金管楽器
トランペット(2パートまたは3パート。ポップスや大規模な楽曲では4・5パートになる場合もある。B♭管が主流。)
コルネット(大編成の曲などで用いられることがある。持ち替えとしても用いられる。)
フリューゲルホルン(持ち替えのみで使用されることがある。その場合はソロパートとして用いられることが多い。)
フレンチホルン(2パートまたは4パートで用いられる。)
テナー・トロンボーン(2パートまたは3パート。)
バス・トロンボーン(大編成の曲で、トロンボーンパートとは別に設置されることが多い。その場合は、低音パートとしてトロンボーンパートとは別の動きをさせるために用いる。)
ユーフォニアム(ドイツ語圏ではテノールホルンを用いる。バリトンが用いられることもある。大方1パートだが2パートの場合もある。)
メイン フェムト ブレンダー オーダ ジャッキ プロデ ハンド ヨーグルト ひょう リゾット しゅうばつ メーター ダンク デマンド サイトゲ バオアン アコウ カーレ アオイル カーネル モルヒ スター メトロ アシカ センチュリー カルーセル サラダ キャメ バック レイヤー 笑い話 風の子 リットル オジギソ りゅうら 宝石箱 ダンス ウンディー リベット アウテ ビー ジャケブル イバナ バタフラ いもがゆ トラックク レース バズーカ コリドー ブレーク

チューバ(イギリスではバスが用いられる。大方1パートだが、2パートの場合もある。)

弦楽器・特殊楽器
コントラバス(ストリング・ベース、弦バス。多くの楽譜で記載があるが、このパートを欠いても演奏できるようになっていることが多い。またテューバと同じパートを弾くこともある)
エレクトリックベース(ポピュラー系の曲でオプションとして扱われることがある。コンクールでは使用禁止)
ハープ(通常の編成には入らないが、大規模な曲で見られることがある。また航空自衛隊航空中央音楽隊にはハープ担当の隊員が所属している。)
ピアノ(通常の編成には入らないが、オプションとして大規模な曲で見られることがある。ハープやチェレスタの代用楽器として使う場合と、正規のピアノパートとして使う場合がある。)

打楽器
以下はよく使われる楽器であるが、曲によって様々である。おおむね4、5人程度で演奏できるように書かれることが多いが、その倍以上の奏者を要する曲もある。

ティンパニ (大きさの異なる4台ないし5台を組み合わせて1組とし 1人の奏者が演奏する。2組以上用いる大規模な楽曲もある)
スネアドラム (小太鼓、サイドドラムなどとも。譜面上は S.D.と略記されることが多い。基本および中心となる打楽器である)
バスドラム (大太鼓、ベースドラム、グランカッサなどとも。譜面上は B.D.と略記されることが多い。スネアドラムと共に基本リズム・パートとして扱われる。)
シンバル(合わせシンバル及びサスペンデッドシンバル)
ドラムセット (ポップスで使われることが多いが、コンサート曲でもたびたび使用される。)
銅鑼もしくはタムタム(英名「Gong」と「Tam-Tam」は、厳密には異なる楽器だが、広義ではほぼ同楽器として扱われている。)
小型打楽器
トライアングル
タンバリン
木魚、テンプル・ブロック
ウッドブロック
クラベス
ギロ
鍵盤打楽器
シロフォン(木琴)
マリンバ
グロッケンシュピール(鉄琴)
ヴィブラフォン
チューブラーベル(チャイム)
ほか多数。特殊な楽器としてはサイレンやサイレン・ホイッスルなどがある。